「どうした?」
「うん、あのね、先生……定期落としちゃって帰れない」
「今どこだ」
「学校の前のバス停。お金持って来て。じゃ」
「おい、おい山田ぁ」
電話は一方的に切られてしまった。
仕方なく国語の教師の新谷治樹(しんたにはるき)は財布を掴んで職員室を出た。
山田ユリアから今日のような電話がよくかかってくるようになったのは
この夏休みが終わった辺りからだった。
教師を始めて4年目を迎えていた。
校門を出てすぐのバス停にはバスが行ったばかりなのか
山田ユリア以外の生徒の姿は見当たらなかった。
「せんせ〜来てくれたんだ。さんきゅ」
ユリアは新谷の腕にすがりついた。
「こら、よせ。職員室から見えるだろ」
狼狽する新谷の顔をユリアは嬉しそうに見上げていっそう力を込めてしがみついた。
新谷はそれを振り払おうとすればするほど人目にはじゃれあっているように
映ったに違い。
しばらくするとユリアは腕から離れて手を出した。
「先生、バス代」
見ると遠くにバスがこちらに向かっているのが見えた。
「ああ、ちゃんと返せよ」
新谷は500円玉を差し出された掌に乗せた。
「うん、じゃね。バイバイ」
ユリアは何事もなかったかのように開いたバスのステップをあがっていった。
新谷はしばらく窓ガラスを見上げていたがユリアが顔を覗かせて手を振る気配はなかった。
迷惑だと思いながらも新谷は肩透かしを食らったような気分で職員室へと戻って行った。
(何で俺なんだよ)新谷は不思議でならなかった。
担任でもない。顧問でもない。
隣のクラスの新谷に助けを求めてくるユリアの心の内がわからなかった。
しばらくするとまた新谷の携帯にユリアから電話がかかった。
誰に聞いたのかユリアは新谷の携帯番号を知っていたのだ。
「せんせ〜、助けて。バッグが木に引っかかって取れないの」
「おまえなぁ」言いかけて新谷は(担任に言えよ)という言葉を飲み込んだ。
「今どこだ。行ってやるから早く言え」
「2−Aの教室」
新谷は携帯を切ると階段を駆け上がった。
教室の入り口から中を覗くとユリアが今にも落ちそうなくらい窓の外へ
体を乗り出していた。
その手の先にはモップが握られていたが長さと重さでバランスを崩して
爪先立ちの足先がゆらゆらと揺れていた。
「危ない!」新谷は声と同時にユリアの腰を支えた。
ユリアは驚いて教室の床へとひっくり返った。
「もう、先生ったらセクハラだよ」
「ばかっ、呼んだのはおまえだろ」
「触ってなんて言って無いもん」
「そんなに乗り出したら危ないだろ。もう少しで落ちるところだったじゃないか。で、カバンはどこだ」
「カバンじゃないよ。バッグだも〜ん。おじさんみたい」
「どっちだって同じだよ。じゃ、そのバッグはどこなんだ」
「あそこ」ユリアは窓から下を指差した。
新谷が覗き込むとユリアも同じ窓枠から顔を出した。
「ほらあそこ」
指さした先にはたしかにユリアがいつも肩から下げている学生の流行のバッグが引っかかっていた。
「なんであんなところに落ちたんだ」
「・・・・・・・・」
「わざとか?俺を呼び出すため……」
言いかけた新谷の言葉をユリアがさえぎった。
「違うよ。違うって」
ユリアが涙声だったことに新谷は驚いて慌てて言った。
「ごめん、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。
でも俺担任じゃないし、何で俺なんだっていつも思ってたから」
「だって、先生言ったじゃん。転任してきた時に、誰でも困った時には声を掛けて欲しいって。
みんな俺の生徒だと思ってるって。そんなこと言ってくれる先生なんていなかったもん」
ユリアの涙声は変わっていなかった。
「先生、取ってよ」
涙声のユリアが新谷の背中に張り付いた。
「先生、取ってよ。助けてよ」
「助けて?」
新谷はふと思い当たった。
≪いじめられてるのか≫
定期をなくしたのではなく盗られた。
バッグを落としたんじゃなくて落とされた。
その前の土砂降りの日には傘が壊れたんじゃなくて壊された。
体操着を忘れたんじゃなくて隠された。
今までの助けては困っているから助けてじゃなくて
『いじめに気づいて』のSOSだんじゃないだろうか。
背中に張り付いて「助けてよ」とつぶやくユリアを正面に向き直らせて
新谷はかがんでユリアの顔を覗きこみ目を見て言った。
「山田、おまえ……いじめられてるのか」
ユリアはきゅっと唇を噛んで笑顔を作った。
「先生、気づくの遅すぎだよ」
「いつかスカート破れちゃったから洋服貸しってて言っただろ。
それで俺の着替えのジーパン貸してやった時」
言い終わらないうちにユリアが小さくチャチャを入れた。
「先生、ホントおじさん。ジーパンじゃなくてジーンズだよ」
「おまえなぁ。で、そのジーンズ貸した時も誰かに切られたのか?」
「うん」
「なんで言わなかった」
ユリアは新谷の胸に頭を預けて再び涙声で気持ちをぶつけた。
「気づいて欲しかったんだもん。先生の事好きだったから先生に助けてもらいたかった。
だからいじめられてたけどそれでも呼べは先生がスーパーマンみたいに
飛んできて助けてくれるってわかったから、先生がいつか自分で気づいてくれるまで
このままでもいいかなって思ったんだもん」
「おまえ」
「先生遅いよ」
「ごめん。もうわかったから俺が助けてやるから心配するな」
「先生遅いよ」
「だからごめんって」
「そうじゃないんだ。私転校する事になった。親が離婚する事になって
私はお父さんについて来月、北海道に行くの。最後に気づいてくれてありがとう」
「そうなのか、本当にごめんな」
「先生、最後のお願い。バッグ取ってね」
ユリアは新谷から離れて笑った。
「最後じゃないさ」
「え?」
「北海道で困ったら電話して来い。いつでも飛んで行って助けてやる。
俺は山田のスーパーマンだからな」
新谷はユリアの頬を両手で挟んで言った。
「先生、写真撮ろ」
ユリアはポケットから携帯を取り出すと
新谷の腕をとって片手を伸ばしてシャッターを押した。
「おい、見せろよ。あ〜これひどいだろ。もう1回」
今度は新谷がユリアの肩を抱いて携帯を構えるとユリアは両手でピースを差し出した。
ふたりの携帯の待受けにはおそろいのあの時の写真が笑っていた。
ちょっと照れた新谷と思いっきり笑顔のユリア。
新谷治樹27歳(ユリアに言わせるとおじさん)
山田ユリア17歳
禁断の教師と生徒の秋物語
テーマ : 自作小説 - ジャンル : 小説・文学
2009/11/22 00:48 |
短編小説
| COMMENT(6)
TOP